ぼくはこの「自分」という漢字が気に入っています
解釈は別かもしれないが、
「自らを分ける」と書く「自分」の意味を想像すると
なんだか豊かな気持ちになるのです
「自分を大事」にとか「自分の〇〇」としたとき、
同時に己のなかに「すでに分けてあげられるものがある」ような気がして、
自分の役割を感じることができるからです
ぼくの活動のテーマのひとつに
「自分を知り、磨き、震わせる」というものがあるが、
これは共振現象をイメージしています
理科の実験などでご覧になったことがあるだろうか
いくつかの音叉を並べ、ひとつの音叉を叩いて震わせたとき、
同じ振動数のものだけ離れていても共鳴し合う現象
ぼくはこの現象になぜか惹かれていて、そこに
「触れるものや聴こえるもの」
「人の意思や気持ち」
「動植物や自然地球」
「もしかしたら宇宙とも」などが、
影響し合う世界があるんじゃないかと想像しています
自分を知るということは、
「自らを分けるもの」に気づき、その存在を知ることに繋がる
それは、何かに、誰かに、影響を与えられるもの
じぶんに備わっている、分けられるものに気づくこと
もうすでに自らの中にあるものを知ること
その宿っているものを磨き、振動をつよくすることができれば、
じぶんが願うものへと
距離を越え、その振動が伝わり、
繋がり、向かっていけるのだろうと
想像しています
取って繕ったものではない、本来のじぶんで繋がる生き方
好きなもの、心地いいもの、よろこぶもの、愛するもの
そんなものたちと繋がり、共振し、高め合える生き方
想像的だけど、そんな生を目指しています
そしてそれは「光」にもあるんじゃないかと思うんです
星が選んだ自らの声の届け方
真っ暗闇から発せられた、光という星の声
そんな光のひとつひとつを
小さな灯りに込めて乗せ
今日も地球の片隅から
届けとどけと発しています
(このお話は、きっと何度も書いたり考えたりしていくんだろうと思います)
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