ものをつくっていると、度々「自分はこの作品の一役を担っているにすぎない」と思うことがあるのです。
創始でもなければ完結でもない。その通過点の担当、または一役であることを認識させられます。
作品の部材をつくってくれる人、その材料をつくってくれる人。
羊の毛を刈る人、洗う人、育てる人。
電気をつくる人、そのエネルギーになる過去の命や自然のもの。
そんな様々な連綿としたものの中で、
自分はたまたま巡り合わせで羊毛照明を仕立てていること。
作り手、作り役、そんな印象です。
でもそこに上下はきっとない。
お互いがお互いにできること、得意なことを出し合っている。
それを認め合って、尊重し合って、必要なところを提供し合って、生きる。暮らす。
あたりまえかもしれないけれど、忘れがちなこと。それを見失うと、謙虚さを失って傲慢になったり、敬いを忘れてしまってあたかも自分が偉いとなってしまう。
自戒もこめて、そんな意識を持ちながら、自分が持っているものに気づき、育てて、じゅうぶんに活かしていけるようになって、
いまの世に関わっていきたいと思うんです。
そんな想いが巡った夜更けでした
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